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救護よこはま24号(最終版).jpg

​救護横浜24号掲載

新団委員長就任のごあいさつ

今回救護奉仕団委員長を仰せつかりました植村保男です。
皆様におかれましては、日頃から赤十字活動にご参加いただきお疲れ様で
ございます。
近年増々世界中で災害は大規模化し多発しております。日本国内におきま
しても、線状降水帯などによる、今までとは規模も様相も大いに違う被害
が出ております。
救護関係三奉仕団の一員として神奈川県支部と連携を取り、訓練を重ね積
極的に防災、減災に繋げていく活動をしたいと思います。
より良い奉仕が出来るように心がけてまいりましょう。
宜しくお願い致します。

植村保男

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​救護横浜24号掲載

第7回 “救 護 の 輪

「人生は自分探しの旅」

私が初めて赤十字に出会ったのは当時中学生で参加していたボーイスカウトの体験研修でした。昭和48 年(1973 年 、中学生の頃の話です。今は定かではありませんが「赤十字の少年救急法」として講習を受けた記憶があります。当時は今の「胸骨圧迫」一般普及はしていませんでしたし、人口呼吸もニールセン法 直接吹き込まない用手人工呼吸法の一つ
がスタンダードな講習でした。三角巾を主とした包帯法の基本的なことは現在とそれほど大きく変わっていません。そこからボーイスカウト活動の中で救急法を活用しつつ同じ「奉仕の精神」を高校卒業まで体験しました。その後は大学を卒業し、横浜YMCAで健康教育部門に関わり赤十字水上安全法の救助員講習を受けた主管団体が神奈川県救護赤十字奉仕団横浜分隊でした。私にとっては赤十字活動との再会です。その時の指導員には故金子邦親さんや今も現役の角田さん、スタッフで中川さんもおられました。
講習修了時に「君、うちの奉仕団に入らない?」と誘われて入団したのが昭和60年(1985年)。転職後も幼稚園や、そこから広がって関わっている自然体験活動(ネイチャーゲーム)においても様々な分野でリスクマネージメントは不可欠で、そのかかわりの中でも私の軸となっているのは赤十字の「人道」です。水安救助員から指導員・救急員から救急法指導員&幼児安全法指導員を経て現在に至るまでの間で、常に相手の立場を尊重し肯定感もって生きることの大切さを体験を通じて学ばせていただきました。私にとって赤十字そして救護奉仕団との出会いは偶然ではなく必然であったことを歳を重ねるごとにしみじみと感じております。
「人生は自分探しの旅」旅は終盤となりますが、これからも心と身体が続く限り赤十字人としての自分探しを続けてまいります。

園 田 恵 一

安藤さん 2.png

​救護横浜23号掲載

第6回 “救 護 の 輪

「細く、長~く!」

私が赤十字と出合ったのは1982 年初夏の頃、当時の私は養護教諭を養成する専門学校の学生でし
た。その専門学校で学生オリエンテーションの時、担当教官から「神之木台青少年会館で、日本赤十字社が開催する救急法講習会があるので、できれば全員受けるようにしてほしいが、定員があるので早めに申し込むように。将来、みなさんが就職した時、直結する内容なので資格として取得すれば優遇されるから。」との指導があり、仲がよかった友人 3 人と申し込んで受講したのがきっかけでした。その時、指導員でお世話になった方が今の救護赤十字奉仕団を立ち上げた玉野 進さん(故人)と金子邦親さん(故人)をはじめとした 3 4 名の救急法指導員の方と、手伝いで来られた同じ専門学校の 1 年先輩 4 名でした。
その時の救急法正規講習会は今よりも時間数が10時間以上も多く、期間も長い、そして学科・実技共に初めてのことばかりだったため、自分としては精神的・体力的にも講義に追いついていくのが精いっぱいで、休憩時間ごとに仮眠をしていた記憶があります。その時指導員とて来られていた方々は退社後、疲れているにも関わらず、みなさん笑顔で我々に解りやすく指導してくださり、おかげで、救急法救 急員の試験に受かり、自分の名前が記載されている適任証を手にした時はからだが震えるくらいうれしかったです。

そんな時、私の気持ちの中に「赤十字とは今後長い付き合いになるかも?」と思うようになり、一緒に受講した友人と先輩に話をしたところ、救護赤十字奉仕団を紹介され入団しました。 その時、講習会でお世話になった指導員の方々もいらっしゃり、笑顔で受け入れていただき、とてもうれしかったです。 2 年後、念願だった養護教諭として就職し、 3 年目の時、救急法指導員を取得し現在に至って い ます。一緒に入団した友人もそれぞれの事情で今は退団してしまいましたが、今でも会うと救護赤十字奉仕団の話が出ます。
私自身、あまり奉仕団活動に参加できていないのが現状ですが、同じ奉仕団の方々との定例会(今は
オンライン)での近況報告・情報交換など、お互いを知るうえではとても貴重です。
救護赤十字奉仕団はいろいろな職業の方がいらっしゃいますが、活動をしている時 は、輝く笑顔で優しく接する仲間がいる、そして、今まで活動などを理解し、時には背中を押してくれた家族と、私の気持ちに賛同し、救急法指導員・救護赤十字奉仕団に入団してくれた娘に感謝しながら、これからも健康に気をつけて細く、長~く活動したいと思いますので、親子ともどもよろしくご指導お願いします。

安藤 尚 美

名称未設定 5.png

​救護横浜23号掲載

今年度の活動が早くできることを期待!」

分隊員の皆さま、救護奉仕団活動にご理解とご協力を賜りありがとうございます。
今年になってもいまだ新型コロナの感染拡大は収まっておらず、最近では 新型コロナのワクチン接種と東京オリンピック関係のニュースに明け暮れでいます。新型コロナに関しては、昨年4月7日に第 1 回目の緊急事態宣言が発令されて以来、今年 1 月 8 日には第2回目の緊急事態宣言が発令、そして4月 25 日には第3回目の緊急事態宣言が発令され 6 月 20 日まで再延長されています。神奈川県においては 4 月 20日に横浜市、川崎市、相模原市の各市にまん延防止等重点措置が発令されましたが、その後も対象地域がさらに拡大され現在では22の市町村に及んでいます。この様な状況下で昨年度は新型コロナの関係でほとんどの活動ができませんでしたが活動できたものについては例会および横浜分隊のホームページに掲載し広く情報発信して きました。これからさらに分隊情報を広げるために、 分隊活動の一つとして横浜分隊ホームページを周りの人に紹介し広げてほしいと願っています。

2021年 4 月 13 日に開催された 2021 年度横浜分隊定期総会で承認された活動計画は、新型コロナの関係で神奈川県障害者スポーツ大会が中止になり、また神奈川県ゆうあいピック大会も延期になっています。 2021 年 5 月 4 5 日には、こどもの国の臨時救護活動が行われました。 5 月 3 日は青年赤十字奉仕団が臨時救護を行ないました。来年度は青年赤十字奉仕団と連携して5月 3 日~ 5 日の 3 日間合同での臨時救護活動を検討しています。ご存じのように 横浜分隊も ⾼ 齢化してきました。なんとし ても 分 隊員の皆さまの 協 ⼒ と ⽀ 援により新しい隊員の増員に努めたいと思います。
今回「救護よこはま」第23 号が発刊されました。この「救護よこはま」の創刊号は 2012 年 5 月に発刊されています。「救護よこはま」の持ち味は気楽に読める発信源となるだけでなく継続することで貴重な記録になり将来これを綴る こと で記念誌になり、救護奉仕団活動を振り返りかえる時の
かけがえ の ない資料になります。これから如何なることがあろうとも細く長く発信続け ていくことが大切です。分隊員の皆さまのこれまで以上のご協力をお願いいた
します。
                               神奈川県救護赤十字奉仕団
                               横浜隊長 玉江 牧雄

​救護横浜22号より

第5回 “救 護 の 輪

「えがおのサンマ」

私が救護赤十字奉仕団に入団してから37年が経ちました。入団当時は救護奉仕団創設メンバーの
玉野進元委員長や柳原前委員長、植村副委員長、鈴木幸一さんなどの先輩達から沢山のことを教えて頂きました。そのような中で今でも印象に強く残っているのが故金子邦親元横浜分隊長のすてきな笑顔です。ライフセービングの世界ではレジェンド的な存在で、卓越した技術と指導力で赤十字の活動だけでなく海の安全に大変貢献された方でした。活動時には常に笑顔で誰とでも分け隔て無く接して困っているときには優しく手を差し伸べてくれる方でした。
奉仕団活動では沢山の知識・技術を学びましたが、赤十字に関わる人間として一番学んだことは故金子邦親さんの笑顔と相手を気遣う優しさでした。
現在の私は、赤十字の活動をするときだけではなく、いつでもどこでも笑顔の大切さを伝えられるように、座右の銘として
「えがおのサンマ」(3つの間を大切に!)『笑顔』の「時間」「空間」「仲間」が広がるようにしましょうと伝えています。
赤十字の救護奉仕団活動は災害時に支部の災害救援活動を支援するのが本来の目的ですが、私達が
直接被災者に接する機会は少なく、被災地に赴くことも滅多にありません。

私が救護奉仕団員として被災地入りしたのは入団から13年年後の1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災の時でした。被災地に入ることで多くのことも学びますが、誰もがいつも被災地に入る訳ではありませんので、被災地に入るメンバーを送り出すこと、支部支援センターで救援活動を支援することも大切な活動です。
そして何よりも大切なことは平時活動です。こどもの国の臨時救護、障害者スポーツ大会・ゆうあいピックでの救護活動は、何かが起こるかも知れない自分はどのような行動をすれば良いのか、心構えを鍛えると共にメンバーとの意思疎通の貴重な機会です。
例会で顔を合わせお互いの日常を伝え合うこともいざというときの為には必要なことです。
皆さんが無理せずできる範囲で活動できること顔を合わせた時には輝く笑顔で優しく接すること
ができる奉仕団であって欲しいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。

​救護横浜22号より

第5回 “救 護 の 輪

「えがおのサンマ」

私が救護赤十字奉仕団に入団してから37年が経ちました。入団当時は救護奉仕団創設メンバーの
玉野進元委員長や柳原前委員長、植村副委員長、鈴木幸一さんなどの先輩達から沢山のことを教えて頂きました。そのような中で今でも印象に強く残っているのが故金子邦親元横浜分隊長のすてきな笑顔です。ライフセービングの世界ではレジェンド的な存在で、卓越した技術と指導力で赤十字の活動だけでなく海の安全に大変貢献された方でした。活動時には常に笑顔で誰とでも分け隔て無く接して困っているときには優しく手を差し伸べてくれる方でした。
奉仕団活動では沢山の知識・技術を学びましたが、赤十字に関わる人間として一番学んだことは故金子邦親さんの笑顔と相手を気遣う優しさでした。
現在の私は、赤十字の活動をするときだけではなく、いつでもどこでも笑顔の大切さを伝えられるように、座右の銘として
「えがおのサンマ」(3つの間を大切に!)『笑顔』の「時間」「空間」「仲間」が広がるようにしましょうと伝えています。
赤十字の救護奉仕団活動は災害時に支部の災害救援活動を支援するのが本来の目的ですが、私達が
直接被災者に接する機会は少なく、被災地に赴くことも滅多にありません。

私が救護奉仕団員として被災地入りしたのは入団から13年年後の1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災の時でした。被災地に入ることで多くのことも学びますが、誰もがいつも被災地に入る訳ではありませんので、被災地に入るメンバーを送り出すこと、支部支援センターで救援活動を支援することも大切な活動です。
そして何よりも大切なことは平時活動です。こどもの国の臨時救護、障害者スポーツ大会・ゆうあいピックでの救護活動は、何かが起こるかも知れない自分はどのような行動をすれば良いのか、心構えを鍛えると共にメンバーとの意思疎通の貴重な機会です。
例会で顔を合わせお互いの日常を伝え合うこともいざというときの為には必要なことです。
皆さんが無理せずできる範囲で活動できること顔を合わせた時には輝く笑顔で優しく接すること
ができる奉仕団であって欲しいと思っています。
これからもよろしくお願いいたします。

田島 信也

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